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日子坐王伝説
麻呂子親王伝説

 

 

麻呂子親王伝説

日子坐王の土蜘蛛討伐から約六五〇年後、丹後國に再び官軍が派遣されるに至りました。日子坐王に討伐された陸耳御笠(クガミミノミカサ)と匹女(ヒキメ)を首領とする土蜘蛛は丹後國中の青葉山に棲んでいましたが、今回麻呂子親王(マロコシンノウ)を大将軍とする官軍が討伐の対象とした『鬼』たちは、陸耳御笠が逃げ込んだとされる三上ヶ嶽(現在の大江山)に棲んでいました。

妖術を使う三鬼

 第三十一代用明天皇の御代、丹後國河守荘三上ヶ嶽(現在の大江山)に、英胡(エイコ)・軽足(カルアシ)、土熊(ツチグマ)の三鬼を首領とする多くの鬼が棲み、丹後はまるで魔國のようになっていました。
 朝廷は鬼を討伐すべく、知勇兼備の麻呂子親王を大将軍とする官軍を遣わす事に決し、勅を奉じた麻呂子親王は、岩田・河田・久手・公庄の四勇士をはじめ一万綺からなる大軍を率いて三上ヶ嶽へ攻め入りましたが、鬼は妖術自在(空を翔び、海を渡り岩をくぐり、雲をおこし雨を降らせ、身を隠したり顕れたり)で斬りつける事も矢で射る事もできませんでした。

大江山山頂より周囲の山々を見渡す。古来より大江山は鬼の住処とされた。

神仏の御加護と白い犬

 鬼の妖力の前に人智は全く歯が立たない事を悟った親王は、神仏の御加護を以て鬼を討ち果たそうとお考えになりました。一旦兵を引かせた親王は、自ら七体の薬師如来像をお彫りになり、「もしも鬼を討ち果たせたならば、この薬師如来像を祀って丹後に七寺を開きます」と祈誓され、併せて天照皇大神と天神地祗に祈願されました。

鬼が棲んでいたとされる『鬼の岩屋』

 するとどうでしょう。親王の元へどこからともなく額に鏡を付けた白い犬が現れました。この犬が神仏の御遣いであることを察した親王は、白い犬を先頭に三上ヶ嶽へ攻め入ったところ、鏡の光が次々と隠れていた鬼の姿を照らし出し、鬼の妖力をことごとく封じてしまいました。
 鏡の聖なる力によって身動きが取れなくなった鬼達は最早官軍の敵ではなく、麻呂子親王は無事勅命を果たす事ができました。

三鬼の末路

 三鬼のうち、英胡と軽足は官軍に討ち取られましたが、土熊のみは生け捕られました。土熊は生き残った鬼達共々助命を願い出たため、親王は「七体の薬師如来像を安置する七つの寺の土地を一夜のうちに開くならば、命だけは助けよう」と申されました。
 鬼達は喜び勇んで七寺の土地を開墾したのち、丹後半島の先端にある立岩に封じられました。

七薬師伝説

 麻呂子親王御開基の七薬師寺を主張する寺院は、現在七ヶ所以上ありますが、「多禰寺縁起」によると以下の通りです。

一、施薬寺(与謝野町)・・・・・・桓武天皇勅願所、旧根本寺
二、清園寺(福知山市大江町)・・・・・・略縁起と縁起絵は府の指定文化財
三、元興寺(京丹後市丹後町)
四、神宮寺(京丹後市丹後町)・・麻呂子親王のものと伝わる墓がある
五、等楽寺(京丹後市弥栄町)
六、成願寺(宮津市)
七、多禰寺(舞鶴市)・・・・・・用明天皇勅願所、西国薬師第三十番霊場

 また、大江町の如来院(古くは仏性寺と呼んだと思われる。日本の鬼の交流博物館のすぐ近く)も麻呂子親王御開基と伝えられる古刹であり、本尊の薬師如来像の胎内仏は親王の護身仏と伝えられています。 更に、仏性寺の山号を鎌鞭山と云いますが、これは親王が鬼達を討ち取った後に武具である鎌と鞭を納めた事に由来すると言われています。

 その他七薬師寺伝説の寺としては、円頓寺(京丹後市久美浜町)・月光寺(廃寺、京丹後市大宮町)などがあります。

親王の足跡

 今日、丹波・丹後には七十ヶ所以上に麻呂子親王にまつわる伝説が残っています。
 その一部を列挙すると

・京都府福知山市雲原に「仏谷」という地名があり、麻呂子親王はここで七体の薬師如来像を彫ったとの伝説がある。
・大江町の元伊勢皇大神社には、「麻呂子親王お手植えの杉」と呼ばれる杉の巨木が現存する。また、皇大神社には麻呂子親王勧請説がある。
・ 与謝野町の大虫神社(延喜式内社)には、戦勝祈願のために親王自らが彫った神像が納められていた。また、白い犬の鏡も合祀されていた。(いずれも火災で焼失)
・ 与謝野町に、「二つ岩」と呼ばれる巨石がある。これは大江山から親王めがけて鬼が投げつけた巨石で、親王はこの岩を刀で受け止めて真っ二つに切り裂いたものであるとの伝説がある。
・京丹後市丹後町の竹野神社は、麻呂子親王を合祀していると伝える。近くには土熊を封じたとされる「立岩」があり、「鬼神塚」も現存している。
・大江町に美多良志(ミタラシ)荒神という小祠があり、親王の大願成就と同時に死んでしまった白い犬を祀っているという。

 膨大な麻呂子親王伝説は、後年の源頼光による鬼退治の物語『酒呑童子伝説』へと昇華していきました。

付記1・麻呂子親王

 麻呂子親王は、用明天皇第三皇子にして聖徳太子の異母弟です。
 親王の鬼退治伝説に薬師信仰が深く関わっているのは、丹後における仏教の浸透時期を考えるとき、大変に興味深いものがあります。また薬師如来は、海上交通の安全に御利益があるとされていることから、海人族の影が見え隠れします。

付記2・英胡、軽足、土熊

 清園寺略縁起(京都府指定文化財)には奠胡(テンコ)、迦楼夜叉(カルヤシャ)、槌熊(ツチグマ)の名で登場します。研究者は、こちらの呼称の方が古く、本来はこの呼び方ではなかったかとしています。

付記3・鉱物資源を巡る争い

 数年前、私が福知山市大江町にある「日本の鬼の交流博物館」を訪れたとき、運良くあるお方にお話を聞く事ができました。

 あるお方曰く、
 
陸耳御笠が棲んでいた青葉山も、三鬼が棲んでいた大江山も、古くから海洋交通の目印であり、修験の山であり、鉱物資源の豊富な山として知られてきました。この山を支配してきたのは海人族であり、製鉄民でありました。鬼とは製鉄民族の事なのです。大江山を始めとして、丹後には沢山のタタラ場がありました。
 鉱物資源と優れた技術を押さえる事は、古代に於いても現代に於いても、戦略上極めて重要な事です。
 丹後の鬼と官軍との戦いは、丹後の地方勢力と大和朝廷の、鉱物資源争奪戦だったのです。聖徳太子は秦河勝を使って次々に地方豪族を滅ぼしていきましたが、丹後の攻略も聖徳太子の意志であったのではないでしょうか?最も、聖徳太子も母親が海人系の間人皇后ですから、海人族の血を引いているのですが・・・・・

 で、貴方は何を調べに来たのですか?と、あるお方はお尋ねになりましたが、最早聞く事は何もありませんでした。m(_ _)m

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